日記

作品ノート&秋田のリサーチ

寒くなった

東京も台風が過ぎ、だいぶ寒くなって来ました。秋田もこれから本格的な冬がやって来ます。僕は秋田の冬が大好きで、たまに帰るとその雪景色に見とれてしまいます。雪の擬音語としてしんしんとか、しーんとか言いますが本当にそんな感じで、町の中が静寂に包まれます。そんな中で家にいると世界で一人っきりになったような清々しい孤独を感じます。でも、現実的にそこに暮らしている人にとっては雪は大変で、雪かきとか、雪下ろしとか、除雪車の音とか、去った後とか、屋根が壊れたとか、大変です。たまに帰って「雪いいね」なんて気軽に言うと、「こっちは大変だ」となります。冬の間は日が照る時間も少ないし、やっぱり気は滅入ります。なんかそんなんをひっくるめて、芸術に昇華出来ないだろうかとか、思います。そこに芸術…芸術って言うとなんだが、かっこつけた感ありますが、一つアクションをとることでもっと、暮らしやすくなるのではないかとか、思います。もちろん、具体的に遊び場やカフェが少ないとかあります、女子高生は一体どこに行くのかとか、考えます。外に対する「観光としての秋田」つまりは、なまはげや竿燈や、きりたんぽも素晴らしいですが、もっと内なるもの、観光や物産に頼らないもの、「外への秋田」を秋田から引き算したときに一体何が残るのか、その「残るもの」を創造すること、それが大切なような気がしています。それが本来の「外への秋田」になるのではないか、とか考えます。

模擬授業

今日はとある芸術高校で、模擬授業のアシスタントをしてきました。何回もやっている演目ですが、今回やってみて、演劇の難しさ、それは特に発話するということですが、それを再認識しました。もちろん、テキストとして書いてあるから喋るということもあると思うのですが、もっと根本的なこと、逆に言うと喋らないこと、沈黙することを掘り下げなければ、発話することからは遠ざかる気がしています。それはダンスでいうところの、動かないということです。今までは私の身体とテキスト、私の身体と振り付けの関係で、舞台が成立していたような気がしますが、その私みたいなものも、信用ならなくなってきたような感覚です。なんというか、日常の方が多方面に渡って雄弁な身体があるような感じです。今だってこうやってブログとかを書けちゃいますし。